<オナ禁>はしない方がいい理由とデメリット-ちんこが小さくなっても知らないよ-

自分は、<オナ禁>をしている人が信じられない。

こんなに気持ちよくて楽しいことを、自ら放棄するなんて。

我慢する必要はないのに。

世の中にはインポに悩む人もいて、自分もいずれ”したくてもできなくなる”可能性があるのに。

愚かすぎる。

結論から言えば、したい時にちゃんとオナニーした方がいい。

もったいないから出した方がいい

というのは、

極めて短絡的な考えですが、過度なオナ禁は体によくないはずなのです。

というのも、

ちんこの役割は、放尿と生殖。

これは間違いありません。

で、

おしっこは常に作られているものであり、精子も同じこと。

尿を溜めすぎると、「膀胱炎」になります。

精子の溜めすぎに関しても、同じように何等かのトラブルを生むはず。

あくまで1つの例として、「溜め過ぎた精子」というのは生殖能力が弱くなっているそうです。

妊活(不妊治療の初期段階)の際には、”2~3日溜めた後”の性交が理想的とされます。

7日以上射精がない状態の精子は、むしろマイナスということ。

薄すぎてもダメであり、濃すぎて(量が増えても鮮度が落ちている)もダメなのです。

こいった”定期的な放出”は、”むしろした方がいい”はずなのです。

「射精されなかった精子」というのは、体に吸収されてしまうようです。

”鮮度の落ちた精子”による妊娠を防ぐためと考えられます。

だとすれば、<気持ちよく出す>方がいいはずです。

美味しいものを冷蔵庫に置いておいて腐らせてしまうよりも、味わった方がいいのは明白です。

射精する相手がいねーよー

子供なんかいらねーよー

そういった人のために、<マスターベーション>があります。

どうせ捨てるなら、気持ちよくティッシュに出せばいいと思うのです。

あと、オナニーもセックスもしない(勃起機能を使わない)とペニスと睾丸は縮小します。

上記の例と同じく、一定期間であれば睾丸は肥大しますが、肉体が必要なと判断するのか?射精しなければ睾丸は縮小します。

勃起をしないことで、陰茎の”増大幅”は確実に狭まります。

つまり、インポになるとチンポは小さくなるのです。

オナ禁を免罪符にするのはやめて欲しい

くどくど書いてきましたが、

オナ禁は、基本的に意味がない・マイナスと言えるはずです。

それでも<射精>という悦びを放棄するからには、オナ禁に励む方々というのはオナ禁に何らかの”メリット”があると思っているはず。

代表的なものでは、

抜け毛が少なくなる。

集中力が上がる。

確かに、精子に含まれる「亜鉛」は毛髪の原料でもあります。

しかしながら、”抜ける”のは関係ないはずです。

「いやいや、質がー」という意見もありますが、精子に含まれる亜鉛の量が極少量です。

ご飯を、しっかり食べましょう。

集中力に関して、

エッチなことを考えてしまい手に付かない

のであれば、溜まっている時の方がマイナスが多いはずです。

スッキリしてから、勉強や仕事に励んでください。

一定期間続ければ集中力が上がる

という意見もあるようですが、たぶん勘違いです。

集中力がなかったのを、性欲のせいにしているだけです。

”決意”や”意志の強さを示す”のために、オナ禁を利用しているのではないでしょうか?

あの信号を赤になる前に渡れたら、あの子は僕に振り向いてくれる

というような、「妄想的な結果」を求めているに過ぎないはずです。

本当はオナ禁なんてしなくても、集中できたはずなのです。

このように、「免罪符」の代わりに禁欲している人が多い気がします。

もちろん「自己満足です」と言われれば、それは個人の自由だから反対する理由はありません。

ただし、それは”ストイックさ”にはならないということです。

オナ禁の期間は、意志の強さに比例しません。

煩悩は適度に楽しんだ方がいい

禁欲は愚かだ

オナニーしている人が偉い

ということでもありません。

オナニーのし過ぎは、「性依存症」の症状の一部でもあります。

あくまで”適度(生物学的に考えれば3~5日に一度)”に楽しむべきだということです。

自分も、

オナニーばかりしている自分が嫌になり

オナ禁に挑戦したことがあります。

3日くらいでは意味がないから、5日やってみました。

決して食わず嫌いではありません。

実際に、体力的にはメリットが多かったように思います。

「断食」と同じく、たまにはしてみてもいいとも思います。

確かに、性欲は「煩悩」です。

間違いなく。

だから、楽しいのです。

かくゆう自分も、「性欲が邪魔して仕事に集中できない」ということが頻繁にあります。

オナ禁、やってみようかしら。

本末転倒で、矛盾していますが、これは心理でもあります。

つまりは、心の持ちようなのです。